
HTCレターでは、開催したヘルステック研究会と東北大学のヘルステックにまつわるトピックスについてお届けします。
第8回 ヘルステック研究会 レポート

第8回ヘルステック研究会は、東北大学電気通信研究所 教授 石黒 章夫 先生にご登壇いただき「動物の生き生きとした振る舞いを創り出す制御のからくりを探る」と題して、最新のロボット工学と生物学を融合させた興味深い研究成果についてご講演いただきました。(講義より一部抜粋してお届けします。)
「理解なき構築」からの脱却と「構成論的アプローチ」
近年、ロボット工学の分野では「フィジカルAI」と呼ばれる技術が飛躍的に発展しています。仮想空間での膨大なシミュレーションと深層学習を通じて、従来のプログラムでは難しかった複雑な動作を自動生成することが可能になりました 。しかし、この手法に対し、膨大な計算コストがかかる「力技(物量作戦)」である点や、生成された制御プログラムの中身がブラックボックス化し、なぜその動きができるのかという「理解」が不在である点に懸念を示されました 。
石黒先生の研究室では、動物の神経細胞などの計算資源が極めて限られているにもかかわらず、実世界で適応的に動ける点に着目しています 。
動物の動きを数式化し、実際にロボットという模型を作って検証する「構成論的アプローチ(Understanding by Building)」を採用することで、生物が持つ制御のからくりの本質的な理解を目指しています 。
第一の鍵:身体と環境の相互作用による「ゴミ集めロボット」
生物らしい動きを解き明かす第一の鍵として、「脳神経系だけでなく、身体と環境の相互作用が重要である」という視点が提示されました 。事例として紹介されたのが、スイスのチューリッヒ大学で開発された「ゴミ集めロボット」です。このロボットには高度なカメラや認識アルゴリズムは搭載されておらず、距離センサーとモーターのみという極めて単純な構造をしています 。
驚くべきことに、障害物を避けるだけの単純な反射行動を組み込んだロボットの群れは、物理的な接触と環境との相互作用の結果として、散らばったゴミを一箇所に集めるという高度なタスクを遂行しました 。この事例は、知能や制御プログラムが脳(制御器)だけに存在するのではなく、身体の形状やセンサーの配置、そして環境との関わりの中に埋め込まれていることを示唆しており、従来の制御工学における「制御器と制御対象の分離」という概念を覆すものです 。
第二の鍵:自律分散制御が解き明かす「四脚動物の歩容遷移」
第二の鍵として挙げられたのが「集中制御だけでなく、自律分散制御が重要である」という点です 。ムカデや四脚動物のように、中枢からの命令だけでなく、各脚が局所的な判断を行う仕組みです。石黒先生らは、四脚動物が移動速度に応じて「ウォーク」「トロット」「ギャロップ」と足並み(歩容)を自然に変化させるメカニズムの解明に挑みました 。
導き出された制御則は「足に荷重がかかっている間は足を上げない」という極めてシンプルなものでした 。この単純なルールを各脚に実装したロボットは、速度を変えるだけで自然と歩容を遷移させることに成功しました。さらに、同じ制御則でも、ロボットの重心を高くし左右に揺れやすくすると「ラクダ」のような歩き方に、揺れにくくすると「ウマ」のような歩き方になることが実証されました 。これは、動物種による動きの違いが、脳の違いではなく身体的特性の違いに起因することを示しています。
古生物学への応用と今後の展望
「構成論的アプローチ」の有用性は、現存する生物だけでなく、絶滅した動物の運動復元にも波及しています 。石黒教授は古生物学者と共同で、首長竜(プレシオサウルス類)の遊泳方法の解明に取り組みました。四脚動物の歩行制御モデルを首長竜の4つのヒレの動きに応用したシミュレーションとロボット実験を行った結果、200年以上謎であったヒレの協調運動について、合理的な仮説を提示することに成功しました 。
最後に石黒先生は、改めて生物の「限られたリソースを徹底的に活用する」設計の巧みさについて強調されました 。計算機パワーに頼る現代のAIアプローチとは対照的に、身体や環境との相互作用を計算の一部として取り込む生物の制御原理は、省エネかつ適応力の高い次世代ロボットの実現に向けた重要な指針となることが期待されます。
(全講義はヘルステックカレッジの参加でご覧いただけます)
東北大学 ヘルステックTOPICS
1. ノスタルジー×生成AIによる認知症リスク低減プロジェクトが始動 ―Google.orgによる100万米ドルの資金提供先に選定―

ヘルステック研究会にご登壇されている瀧先生のプレスリリースです。
日本の長寿化が進む中、健康寿命延伸には認知症予防が重要ですが、誰もが継続できる効果的な予防法は非常に限られている状況です。近年、ノスタルジー体験(映像や音楽、会話などを手がかりとして、懐かしい思い出を追体験すること)がポジティブ感情や社会的なつながりを高めることから、脳の健康を維持し、将来の認知症リスクを低下させる有効な手法として国際的に注目されています。
この度、東北大学スマート・エイジング学際重点研究センターの瀧靖之教授および大場健太郎講師らの研究チームは、Googleの慈善事業部門であるGoogle.orgを通じて100万米ドルの資金提供を受け、ノスタルジーと生成AIを活用した認知症リスク低減プロジェクトを開始しました。本資金を用いて、過去の航空写真や報道画像などから思い出の場所の三次元空間の再現、人間らしい聞き上手な会話AIの開発を行います。さらに、これらのサービスが認知・心理機能へ与える効果を検証し、産官学民連携で社会実装を目指します。(2025年12月22日:スマート・エイジング学際重点研究センター 教授 瀧 靖之)
詳細はこちらから(東北大学WEBサイト該当記事へ移動します)
2. アルコール摂取と加齢性難聴の関連を大規模データで解明 -飲酒量・性別・遺伝子型により影響が異なる-
前回ヘルステック研究会にご登壇された、香取先生らのプレスリリースです。
「加齢性難聴」は日常生活の質や社会参加に大きな影響を及ぼす有病率の高い疾患ですが、飲酒との関連については見解が一致していません。
東北大学大学院医学系研究科耳鼻咽喉・頭頸部外科学分野の香取 幸夫教授、鈴木 淳准教授、高橋 ひより非常勤講師らの研究グループは、東北メディカル・メガバンク計画の大規模データを用いて、標準純音聴力検査による客観的な聴力評価と、詳細な飲酒習慣の質問票データを組み合わせて、加齢性難聴と飲酒量との関連を検討しました。その結果、飲酒量と加齢性難聴との関連は男女で異なり、男性では多量飲酒で難聴が多く、女性では少量から中等量の飲酒で難聴が少ないことがわかりました。
さらに本研究では、日本人のアルコール飲酒量や代謝に関わる遺伝的背景に着目し、飲酒に関連する遺伝子多型による難聴の有病率の違いについても検討しました。その結果、一部の遺伝子多型では、同じ飲酒量でも難聴の割合が異なり、遺伝的な違いにより飲酒が加齢性難聴に与える影響が異なる可能性が示されました。
本研究は、身近な生活習慣である「飲酒」と加齢性難聴の関係について、男女別・詳細な飲酒量区分・遺伝的背景を同時に考慮して検討した点に特徴があり、今後の加齢性難聴の予防や個別化医療を考える上で重要な報告になります。本研究成果は、2025年12月2日に国際学術誌Scientific Reports(電子版)に掲載されました。(2025年12月16日:東北大学大学院医学系研究科 耳鼻咽喉・頭頸部外科学分野 准教授 鈴木 淳)
詳細はこちらから(東北大学WEBサイト該当記事へ移動します)
3.高齢者の細胞で染色体異常が増加するのは酸化ストレスが原因-老化が染色体の維持に及ぼす影響を解明-
遺伝情報が安定に維持されなくなることは、老化とがんに共通する特徴です。
東北大学加齢医学研究所・分子腫瘍学研究分野の朱楷林大学院生、田中耕三教授らの研究グループは、高齢者の細胞では染色体の異常や断片化が増加している原因として、ミトコンドリアの機能低下によって活性酸素種が増加することによる酸化ストレスが関係していることを明らかにしました。酸化ストレスは複製ストレス(DNA複製がスムーズに進まない状態)につながり、これが紡錘体微小管の安定化などを通じて染色体不安定性を引き起こすことがわかりました。
同グループは、マウスでも同様の現象を報告しており、酸化ストレスにともなう染色体不安定性は、哺乳類細胞で共通してみられる老化現象であると考えられます。本研究は、老化によって遺伝情報が安定に維持されなくなる原因の一端を明らかにするものです。
本研究成果は、11月25日に学術誌npj Agingに発表されました。(2025年12月 8日:加齢医学研究所 分子腫瘍学研究分野 教授 田中 耕三)
詳細はこちらから(東北大学WEBサイト該当記事へ移動します)