
HTCレターでは、開催したヘルステック研究会と東北大学のヘルステックにまつわるトピックスについてお届けします。
第5回 ヘルステック研究会 レポート

第5回ヘルステック研究会は、東北大学大学院医学系研究科 神経・感覚器病態学講座 皮膚科学分野 教授の浅野善英 先生による「 病態記憶から考える皮膚疾患の治療戦略 」です。
(講義より一部抜粋してお届けします。)
難治性疾患の核心「病態記憶」のエピジェネティックな解明
本講義では、皮膚疾患の難治性の要因として注目される「病態記憶」の概念と、その分子機構についてご講演いただきました 。病態記憶とは、DNAの塩基配列の変化を伴わない遺伝情報の変化(エピジェネティクス)により、細胞が病気の性質を長期にわたって記憶し維持することです 。
ご専門である全身性強皮症の線維芽細胞について、体外で長期培養しても線維化の性質を保持し続けた事実に着目され、これが病気を記憶する内在性の異常ではないかと研究を開始されました 。
その結果、強皮症ではFly-1やKLF5といった転写因子の発現がエピジェネティックな機序で抑制され、線維化の病態を誘導していることが明らかになりました 。
この研究は、病態記憶に注目することで、難治性疾患のコアとなる因子を特定し、新しいモデルマウスを樹立するに至った一つのロードマップを示唆しています 。
皮膚疾患を横断する病態記憶の普遍性とクロマチンリモデリング
病態記憶の機構であるクロマチンリモデリングは、全身性強皮症のみならず、乾癬やアトピー性皮膚炎などの炎症性疾患においても共通して認められます 。例えば、アトピー性皮膚炎では、皮膚治療によって皮疹が改善した後も、末梢血中のT細胞において、炎症性サイトカインIL-13の遺伝子領域でDNAメチル化の低下という形で病気の記憶が残存することが示されました 。
また、乾癬と強皮症が合併しやすいことの背景に、両疾患の制御性T細胞でFly-1の活性低下が共通して見られるといった、病態干渉のメカニズム解明にも病態記憶の概念が応用されています 。さらに、慢性的なストレスが自然免疫系の細胞のクロマチンを常に開かせ、反応性を高める記憶となるなど、日常生活の注意点にも科学的根拠を与える知見が示されました 。
難治性を生み出す細胞と記憶を消すための治療戦略
皮膚の炎症性疾患では、表皮細胞や線維芽細胞などの非免疫担当細胞にも病態記憶が長期間残存することが示されています 。例えば、表皮細胞では一度強い刺激を受けると半年後も遺伝子発現に感染の形質が残り、湿疹や炎症が同じ場所を繰り返す一因と考えられています 。
この難治性を打破するため、炎症を完全に抑えた後も治療を続けるプロアクティブ療法の重要性が強調されました 。乾癬の治療データからは、発症後5年以上経過した患者ではDNAメチル化の異常が残りやすく、早期治療介入によって深い寛解(ディープレミッション)を維持し、病態記憶をなくさせることが極めて重要であることが示されました 。これは、レジデントメモリーT細胞の数を減らし、クロマチンリモデリングを元に戻すという、病態記憶に基づく新しい治療コンセプトとなります 。
病態記憶と老化の接点、抗老化を標的とした新薬開発の動向
近年、病態記憶は細胞老化(Senescence)という現象と深く関連していることが示されています 。全身性強皮症においては、病態に関わる線維芽細胞が老化(LGR5陽性)のシグナルを強く発現し、慢性の炎症を維持していることが分かっています 。また、感染が動脈硬化を伴うメカニズムにも、血管内皮細胞の老化と病態記憶が関係していることが示唆されました 。
この病態記憶と老化の接点を標的とした治療薬として、PAI-1阻害薬が注目されています 。PAI-1阻害薬は、細胞老化を抑制する作用があり、全身性強皮症の間質性肺疾患に対する第II相臨床試験が進行中です 。この薬剤は、抗炎症・抗線維化に加え、抗細胞老化という新たな治療標的を担うツールとして、国際的な注目を集めています 。
まとめ
浅野先生の講演は、皮膚疾患の難治性を分子レベルのエピジェネティクスで捉え直すという、極めて示唆に富むものでした。
病態記憶という概念は、疾患を横断する共通の病態機構の存在を示唆しており、従来の免疫抑制・抗炎症薬に加えて、細胞の記憶を消すという全く新しいアプローチや、細胞老化をターゲットとした革新的な治療戦略(PAI-1阻害薬など)の開発に繋がります 。
この新たな視点は、難治性炎症性疾患の根本治療を実現するためのブレイクスルーとして、今後の創薬研究や新規バイオマーカー開発における重要な戦略的方向性を提供するものと期待されます。
(全講義はヘルステックカレッジの参加でご覧いただけます)
東北大学 ヘルステックTOPICS
1. 武士の日々の所作で脚力が強化する 1日わずか5分で高齢期の筋力低下を防ぐ効果に期待

一般的な動作の例 (b)一般的なスクワットトレーニング動作の例、(d)一般的な椅子への着座・立ち上がり動作の例
今期ヘルステック研究会のファシリテーターでもいらっしゃる、永富先生のトピックです。
かつて武士の生活に欠かせなかった礼法の所作が、現代人の健康づくりに役立つことが明らかになりました。
小笠原彩香(研究推進時:東北大学大学院医学系研究科大学院生)、佐藤明(研究推進時:同非常勤講師)、東北大学産学連携機構未来社会健康デザイン拠点長永富 良一 教授(研究推進時:大学院医工学研究科)らの研究チームは、礼法に基づくしゃがんで立つ動作を用いたトレーニングを3か月間実施すると、脚筋力が平均で25%以上向上することを確認しました。
1日5分程度の短い運動で効果が得られるため、無理なく続けやすいことが特徴です。日常生活に取り入れやすく、高齢期の転倒や筋力低下を防ぐ新しい方法として期待されます。
本研究結果は2025年8月18日に科学誌The Tohoku Journal of Experimental Medicineに掲載されました。
(2025年9月 1日:産学連携機構イノベーション戦略推進センター 特任教授 永富良一)
詳細はこちらから(東北大学WEBサイト該当記事へ移動します)
2. 医学系研究科の片桐秀樹教授が2025年度「武田医学賞」を受賞
昨年度ヘルステック研究会にもご登壇いただいた、東北大学医学系研究科 片桐秀樹教授が、武田科学振興財団2025年度「武田医学賞」を受賞しました。
武田医学賞は、我が国の医学界で顕著な業績を挙げ、優れた貢献を果たされた研究者に贈呈されます。
武田科学振興財団2025年度「武田医学賞」受賞
受賞者:片桐秀樹 教授(医学系研究科 糖尿病代謝・内分泌内科学分野)
受賞テーマ: 臓器間ネットワークによる個体レベルでの代謝制御機構の解明
(2025年9月10日:医学系研究科・病院広報室)
詳細はこちらから(東北大学WEBサイト該当記事へ移動します)
3.肝臓の糖新生が運動能を決める!‐新たな運動持久力向上法、肥満・サルコペニア対処法へ‐
体の中には、空腹時や運動時にブドウ糖を作り出して低血糖を防ぐ糖新生と呼ばれる仕組みが備わっています。糖新生では、脂肪分解によりできるグリセロールや、筋肉で作られる乳酸などの材料(基質)をもとに、主に肝臓でブドウ糖が産生されます。
東北大学大学院医学系研究科糖尿病代謝・内分泌内科学分野および東北大学病院糖尿病代謝・内分泌内科の金子慶三講師、堀内嵩弘特任研究員、片桐秀樹教授らのグループは、運動の強さに応じて、肝臓での糖新生に使われる基質が異なることを明らかにしました。ゆっくり走る軽い運動ではグリセロール、速く走る激しい運動では乳酸を基質とした肝臓の糖新生が活発化することにより、運動が持続できていることを発見しました。さらに、肝臓の酸化還元反応を促進させると、糖新生が亢進(こうしん)し、運動持久力が向上することも確認されました。
本研究は運動能の向上法につながるとともに、肥満・サルコペニアへの対策の新たなアプローチにつながるものと期待されます。
本研究成果は、2025年9月18日(日本時間9月18日18時)に英国学術誌Nature Metabolism誌に掲載されました。(2025年9月19日:大学院医学系研究科糖尿病代謝・内分泌内科学分野 教授 片桐秀樹/東北大学病院糖尿病代謝・内分泌内科 講師 金子慶三)
詳細はこちらから(東北大学WEBサイト該当記事へ移動します)